「はぁ」
金本緩は甘いため息をつき、ゴロンと床に身を転がす。
手にはゲーム機のコントローラー。耳にはヘッドホン。目の前の画面いっぱいに、流麗な男性の照れたような笑顔が広がる。真正面ではない、斜め40度くらいの角度をつけた立ち姿。少し俯き、少し頬骨のあたりを紅く染めている。
【お前を助けた覚えはない】
言いながら男性はチラリと視線をこちらへ向ける。
【ただ、お前はいつも無鉄砲に突っ込んでいってトラブルに巻き込まれるから、だから放っておけなくて】
視線を逸らせる男性。動いているのは目だけ。だが、その小さな動きこそが緩の視線を釘付けにする。
【お前はどうしてだか放っておけないんだ。気になって仕方がないんだよ】
【ほらっ】
視線を逸らせたまま男性が掌をこちらへ広げる。
【捕まれよ】
【俺の手を離すな。絶対に俺から離れるなよ】
「いやぁぁぁぁん! 絶対、ぜったい、ぜぇぇぇぇぇぇぇったいに離さないんだからぁぁっ!」
【ラブ・アラベスク】は女性向け恋愛シュミレーションゲーム。砂漠の異世界に飛ばされた主人公は、複数の男性と恋を展開する。
今、緩が恋愛の対象としているのは、砂漠の国で王位継承争いに巻き込まれているという男性。地位も財産も容姿も、そして根は優しいのになかなか素直になれないという性格も申し分ない。
ストレートな優男よりも、緩はこういった少し捻くれた性格の方が好みだ。
「まさに理想よねぇ」
ヘッドホンから流れてくる甘い言葉に酔い痴れながら、緩はトロンと呟く。
「でも、所詮は理想よねぇ」
今度は少し落胆した声を出し、馴れた手つきでコントローラーを操作した。
遅くなっちゃったな。
靴を履き、薄暗くなった空を仰いで涼木聖翼人=ツバサは息を吐いた。
日中は暑いと感じていた上着も、日が暮れると羽織りたくなる。さすがに半袖では肌寒いが、それでも異常だ。十一月に入ったのに、陽射しを暑いと感じるなんて。
ツバサは足元に置いていた鞄を取り上げ、帰宅を急ごうと足を踏み出した。
その時だった。
「ツバサ」
遠慮がちな声。ヘタしたら聞き逃していたかもしれない。虫の音にかき消されそうな弱々しい声。ツバサは振り返った。
「シロちゃん」
自分の姿に目を丸くする相手。シロちゃん=田代里奈は申し訳なさそうに身を縮こまらせる。
「あ、ごめん。帰るところだったんだよね」
相手が聡だったら「見りゃわかるだろ」などと罵倒されたに違いない。だがツバサは、里奈の言葉にホッと笑った。
「別に急いでないよ。何?」
ツバサなら、そう言ってくれるだろう。
そんな甘い考えで声を掛けてしまう自分を情けなく思いながら、里奈はモジモジと口を開く。
「あの、そのぉ…」
ツバサが帰るところだったのは見ればわかる。それを知った上で里奈は声をかけてきたのだ。何事にも消極的な普段の彼女を考えると、どうしても伝えたい、もしくは聞きたい事があるのだろう。
「座ろっか」
声を掛けておきながら言いよどむ里奈を促し、ツバサは玄関に腰を下ろした。
古い家屋を利用している唐草ハウスの玄関は広い。板張りの床は、二人が腰を下ろすとキィと小さい音を立てた。
奥からは子供の声。そしてそれを追い掛ける大人の声。鼻をくすぐる良い匂い。今日は秋刀魚だと言っていた。
こんなところにいたら、そのうち子供らに見つかるな。
もっと落ち着いた場所に移動すればよかったかと軽く後悔しながら、ツバサはゆっくりと里奈の顔を覗き込む。
「何? 何かあったの?」
ツバサの声は優しい。里奈は少しだけ表情を緩め、そうして意を決したかのように息を吸った。
「あのね、駅舎の場所を、教えてもらいたいんだけど」
「駅舎?」
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